人生は自己のイメージを造型する(芸術する)ことが本義です。「美の創造」とか「個性表現」とかいう言葉がありますが、その本質は自分自身を表すことである、と言えましょう。 人間が生きるということは“表現”という形をとることによってしか現実性をもつことはできません。人間は“表現の態”において生きているのであり、表現の中で自己の生命を現実化しつつ生きているのですから、人間を正しく理解するためには、表現ということを理解することが必要です。今私たちがしていること(表現)には、自己の全生命が現実化されているという厳粛な事実を認識し、その上に立って自己の行動を決定していくことが大切です。 PL信仰生活心得第1条 に「自分のすること言うことに誠をこめ、心を行き届かして暮らします」 とあるのは、このことを実践的に説いているのです。 ところで、人は自分の主観に基づいて物事を見、判断しがちです。したがっ てその人の持つ癖――偏向が判断に影響し、そのまま表現の上にも現れるこ とになります。「無くて七癖、あって四十八癖」などと言われていますが、 癖は行動の面にも物の見方や考え方にも現れます。強情な人は、自分が一旦 こうと思ったらその思いを変えようとしませんし、心配性の人は、物事を何 かと心配し不安な思いにかられて暮らしていますから、癖によって歪められ た自分しか表現できないことになります。この点を克服するためには、自ら の主観を超え、客観の境地に立つ必要があります。これは自分の力ではなか なかできることではありません。 PL処世訓 第11条に「一切を神に依れ」とあるのは、客観の境地に立つための在り 方を示しているのです。「神を拝む」と言わずに「神に依る」というところ にPLの信仰があります。 「神に依る」ということは、自らの生命の本源である神に依って自己表現を させていただくということであり、自らの誠を尽くした上で「神よ、よろし く恵み給え」という慎み心でいることをいうのです。人はこのような心で自 己表現に臨むことによってはじめて、自己の力を十分に発揮することができ るのです。 人がこの世に生きる意義は、自らに与えられている能力を働かしてあらゆ る物事を芸術し、自らの個性を思う存分に発揮することにあります。それに は「神に依る」ことが必要なのです。 もちろん人間にできることは限られています。人間は万能ではありません。 しかし、現実世界において唯一の創造性のある存在として人間がこの世に生 かされている以上、人生の問題は人間の手によって解決できるはずです。 PLの教義は、以上のような人間観に立脚し、一人ひとりの自己表現の在 り方を明示するもので、具体的生活に即し、具体的問題の解決の在り方への アドバイスまで含まれています。
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